こちらはベルリンのマーライオン。
ベルリンの南西部、ヴァンゼー区のヴァンゼー湖の畔に腰をかけ、ひなが湖を眺めている。
腰に膏薬なぞを貼っておる。
…ま、座る姿勢があまりおヨロシクないですからね、この君。
前から見るとこんな姿。
どことなくライオンキング風?
いやそれはありえない。似ているとしたら、真似たのはライオンキングのほう。なにせこちら起源は1852年だから。
これは、1852年にデンマークがシュレスヴィヒ・ホルシュタインとの戦いに勝った祝いに、1862年にデンマークが造らせフレンツブルクに建てた記念像の、コピー。
オリジナルではなく、レプリカ。
オリジナル像のほうは、1864年にドイツが逆勝したためベルリンへと追いやられていたらしい。
これはフレンツブルクで撤去されるときの様子。
メキメキメキッと剥がす音が聞こえそうな絵である。
ベルリンに連れて来られて、その後長年、ベルリン生活をしていたが、第二次世界大戦が終わった1945年、制作したデンマークに返還され、2011年になってようやく、もともと建っていた場所に戻されたという。
さて、ベルリンのマーライオンは、ベルリンにやってきたオリジナルを見た銀行家ヴィルヘルム・コンラートが、これは勝利の象徴だ縁起がよろしい~と ばかりに造らせたレプリカ。
1865年のことだったと、マーライオンの台座の記念銘鈑(↓)には刻まれているが、後の調査で1874年であったことが分かったそうだ。
そして、ベルリンのマーライオンは、1938年からこの場所に建っている。いや、座っている。
ナチ党支配下の時代の究極の非道、ヨーロッパの全ユダヤ人の絶滅を意味する「ユダヤ人問題の最終的解決」について話し合われた、 「ヴァンゼー会議の館」のすぐ近く。
この像を造らせた銀行家コンラートは、この高級住宅エリアのの創立者だった。
奥に見えているのがライオン像。右手は「ヴァンゼー会議の館」の柵。
「ヴァンゼー会議の館」は、もともとはユダヤ人実業家(工場経営)エルンスト・マルリエと家族の住まいとして建てられた屋敷だった。
1915年に完成し、1921年に別の実業家フリードリッヒ・ミノックスに売却しているから、ナチスに追い出されたわけではないが、このエリアにはユダヤ人家庭も多く、悲しい運命を辿った人 もあったという。
ミノックスは1940年にナチス親衛隊(SS)に売却し、1941年から1945年まではナチス親衛隊諜報部および国家保安本部がゲストハウスとしてしようしていたそうだ。
そして1942年1月20日、ヴァンゼー会議が開かれ、「ユダヤ人問題の最終的解決」について話し合われた。
マーライオンの視線の先にはヴァンゼー湖の遊泳場。
1907年オープンと歴史も長い。
ナチの時代、ユダヤ人はここに泳ぎに来ることも禁じられた(1939・12・3施行)。
ところでこの「ベルリンのマーライオン」、本当の名称は„Flensburger Löwe“「フレンツブルクのライオン」という。
シンガポールの御本家マーライオン(Merlion)は、Mer=フランス語で「海」、lion=ライオンの「海ライオン」。上半身がライオンで、下半身は魚。
いっぽう、こちら「ベルリンのマーライオン」は全身ライオンで、海辺ではなく湖畔に座る「湖ライオン」。口から水も吹き出ない。
しかしまあ、「フレンツブルクのライオン」と言ってみても、ドイツ人にもあまり知られていない存在で、気軽に口にしようものなら、それは何だと訊き返されて、ドイツ人にベルリンの歴史を語ってやらなければならなくなる。
それなら、まあ、ライオンだし…ということで「マーライオン」だ。
それは何だと訊き返されたときには、たあんと、語ってやろうではないか。
付近には、カフェやレストランがあり、ボートも貸してくれるところもある。
御贔屓に~。