シノーポリとベルリン

ジュゼッペ・シノーポリは、2001年4月20日、ベルリンにある「ドイツ・オペラ座/Deutsche Oper Berlin」でベルディの歌劇「アイーダ」の指揮の途中に突然倒れ、54歳の若さで急逝しました。

このオペラは、10年以上も続いたシノーポリとドイツ・オペラ座総監督ゲッツ・フリードリヒとの間の確執が解けた和解のしるしとしての公演であり、事実上、「シノーポリとベルリン市の関係の復活」を意味していたため、ベルリン市民の喜びや今後への期待も大きく、それだけにシノーポリの訃報は大きな悲しみとなりました。

シノーポリが急死した当時、ニュースとしての訃報は流れましたが、それ以上の情報が流れることはありませんでした。

大のクラシックファンであり、当時ベルリンに駐在員として滞在していた邦人男性(筆者名:マーサ・ビークルさん)がこの公演を鑑賞しており、ベルリン生活情報サイト「べるりんねっと789」が当時配信していたオンラインマガジン「BN789」に、「ベルリンで没した偉大なる指揮者、シノーポリ氏の訃報によせて」と題し、その日の様子を寄稿しておられます。 «こちら»

 

シノーポリ逝去の半年後、講談社の総合雑誌「オブラ」誌にてシノーポリ特集が組まれることになり、当日の様子を取材することになりました。
前述のマーサ・ビークルさんや、シノーポリと個人的な親交もあった音楽家からお話をお伺いすることができ、また、倒れ込んできたシノーポリを受け止めた奏者がいるとのことで、当時第2ヴァイオリン首席を務めていたイリス・メンツェルさんに面会する機会が得られました。
シノーポリの死はオケメンバーにとって衝撃以外の何ものでもなく、これまでオケのメンバーで取材に応じた者はなかったとのことで、取材を申し込んでから返答を受け取るまで、数日を要しましたが、あの悲痛なできごとから半年が経過し、メンツェルさん自身が冷静に振り返ることができるようになったことや、他のメンバーからも反対意見は出なかったこと、発表媒体がドイツのメディアではないことなどから、取材の許可を頂くに至りました。
そこでお伺いした当日の様子は壮絶なものでしたが、音合わせの様子を通して、いかにシノーポリがこの公演に意気込みを見せていたか、また、オケメンバーがどれほどの熱意と信頼感で氏とともに音楽を創り出そうとしていたかが生き生きと伝わってきました。
そうして寄稿したのが、「オブラ」誌の記事です。

月刊紙の誌面ですから、現在購読することはできませんが、文章だけは現在、日本ペンクラブの電子文藝館に掲載されています。
雑誌用の構成から文字だけを取り出した格好になっているので読みにくいと思いますが、以下のイメージ画を参考にしつつ、ご笑覧いただけましたら。

            ≪本文はこちら:日本ペンクラブの電子文藝館

拙文にも記していますが、シノーポリにとってあの公演はフリードリヒへの追悼公演でもあり、個人的に印刷した追悼文をパンフレットに挟ませていました。
まさかその公演で自らもまたこの世を去ることになるとは思いもしなかったはずですが、シノーポリはその追悼文を、ソポクレスの戯曲「オイディプス王」から引用し、こう締めくくっていたのでした。

Du und diese Stadt . . . das Schicksal sei euch gnädig,
und im Wohlergehen erinnert euch immer mit Freude an mich,
wenn ich tot sein werde.

お前とこの町…運命がお前たちに慈悲深くあらんことを。
そして私が死んだときには、
常に喜びをもって私のことを思い出しておくれ

ジュゼッペ・シノーポリ ✝ 2001・4・20