【ホロコースト体験者の証言】 フランシーネ・クリストフ

これはフェイスブックでMansurさんが掲載(2015年11月28日公開)しているホロコースト生存者の体験談です。

お話なさっているフランシーネ・クリストフさんはフランス語。
字幕はドイツ語。

なので僭越ながら字幕からざっくりと日本語に訳してみました。
ご参考になれば幸いです。

 

Vor 70 Jahren gab sie einer Schwangeren ein Stück Schokolade…70 Jahre später geschieht etwas unfassbar Berührendes…

Posted by Mansur on 2015年11月28日

 

私の名前はフランシーネ・クリストフです。
1933年8月18日生まれです。
1933年…それはヒトラーが権力を握った年です。

これを見て。
これは私の星。
私はこれを、胸に縫い付けていたの。
もちろん他のユダヤ人もみな同じように。

これ、大きいわよね。
とくに子どもの胸には。
私は当時、8歳だったのだから。

ベルゲン・ベルゼンの強制収容所にいたとき、ちょっとビックリするようなことがありました。

私たちは戦争捕虜の子どもとして特権扱いされていたのじゃないかしら。
だから、フランスから少しは持って行くことを許されていたの。
小さな袋に、2、3のものを入れて。
チョコのかけらを持ってきた女性もいたし、お砂糖を入れていた人もいたわ。
一人の女性は一握りのお米を持っていた。

私の母は、チョコのかけらを二つ。
あのとき、母はこう言っていたわ。
「これは、あなたが本当に弱くなったと思う日まで取っておきましょうね。本当に力が必要だと思う日まで。その日にこのチョコをあなたにあげるわ。そうしたらあなたも元気になったと感じるでしょう?」って。

私たち移送されてきた女性の中に、ちょうど妊娠中の女性がいたの。
もちろんそんな風には見えなかったのだけれども。
とても痩せていたから。

けれどもいよいよ出産という日が来て、彼女は収容所内の病院に行ったの。
バラック長を務めていた私の母と。

ふたりが出かける前に、私の母は私にこう言ったの。
「ねえ、チョコレートのことを覚えている?
私があなたのために取っておいてあげている。」
「ええ、ママ。」
「いまどんな感じ?」
「いいよ、ママ。調子はいいわよ。」
「じゃあ、もしあなたが許してくれるなら、ママはそのチョコを、私たちのお友だちのヘレーネのところに持っていってやりたいの。…彼女は赤ちゃんを産んだら死んでしまうかもしれないから。
だから彼女にチョコをあげたいの。もしかしたらそれが助けになるかもしれないから。」
「分かった、ママ。そうしてあげて。」

ヘレーネは赤ちゃんを産んだ。
こんなに小さくて、やせっぽっちの。

彼女はチョコを食べて、彼女は死ななかった。
そして彼女はバラックに戻ってきた。

この赤ちゃんは、一度も泣き声を上げなかった。
ただの一度も!

6か月後、収容所は解放されることになって、
ボロ布の中から赤ちゃんを抱きあげたら、
そのとき、赤ちゃんが、泣き叫んだの。
たった今、産まれてきたみたいに。

私たちはフランスへ送り返された。
あの小さな赤ちゃんは生後6か月になっていた。

何年か前に、私の娘がこんなことを訊いてきました。
「ママ。ママは戻ってきたとき、臨床心理士や精神科医にかかった?
そのほうがママにとっても簡単だったんじゃないかしら」
私は応えたわ。
「きっとそうね、でも、かからなかったわ」
誰も精神病のことなんて考えなかったわ。たとえ私が医者にかかっていたとしても。

「でも、今、良いアイデアがあるわ!」
「このテーマについての会議を、私たちで企画しましょうよ。」
それで私は、こんなテーマについての会議を企画したのです。
「もし私が1945年に強制収容所から帰ってきたときに、臨床心理士にかかっていたとしたら、何が起きていたのか」

ずいぶん大勢の人がいらした。
年老いたホロコースト体験者や、興味本位に聴きに来た人たち…
それから臨床心理士やセラピスト、歴史家も。あらゆる人々がやってきたわ。
会議はとても興味深いものになったわ。

参加者はそれぞれ自身のアイデアを話すことができて。
とても素晴らしいものとなった。

 

そこに、小柄な女性がやってきました。
そして彼女がこう言ったのです。
「私はマルセイユに暮らしています。
私は精神科医です。
けれども、私が話を始める前に、私はフランシーネ・クリストフさんにお渡したいものがあるのです。」
…それは私に、ということですね。

彼女は自身のカバンの中をまさぐって、チョコレートをひとつ取り出した。
そして彼女はそれを私に差し出して、こう告げたのです。
「私がその赤ちゃんです」