クリストフ31号 CHRISTOPH 31

(この記事はべるりんねっと789月刊オンラインマガジン2001年7月号に掲載されたものです)

僕は今日、とても機嫌がいい。
風は強いし急に雨が降り始めるし、夏とは思えない冷え込みようだけれど、明日のことを考えるだけで、自然と顔がニコニコしてしまう。
ん? なあに?
いやだなあ。ハナなんて垂らしてないさ(笑)
鼻から垂れ下がっているの? ああ、 栄養補給しているんだよ。
え? 点滴じゃないよ。
僕が病院にいつもいるからそう思ったのかなあ。
僕が患者なんじゃないよ。こう見えても、ぼくは病院で働いているんだ。

 僕はけっこう背丈もあって、黄色いボディがけっこう目立っているし、日頃飛行機やヘリコプターが来ないような所にいきなり姿を表わすから、ベルリンに住んでいる人はみんな、僕の名前や僕の任務のことを知っていると思うよ。
うう……ん、知っていなかったとしても、見たことはあるさ。きっと。

僕の名前はクリストフ31。
ベルリン市シュテーグリッツ区にある大学病院、ベンヤミン・フランクリンで働いているんだ。
僕の仕事はルフト・レットゥングといって、救急車で行けない所や、救急車で向かっても間に合わないような緊急時に飛んでいく、空飛ぶ救助隊なんだよ。
ほら、僕専用の待機場所が病院の敷地内にちゃんとあるんだよ。
ぼくはいつもここに待機していて、緊急事態が発生すると、パイロットと救助隊員と緊急医とでひとつのチームになって、現地へと向うんだ。救急車では渋滞していて進めない道でも、僕が飛べば5分と掛からないで辿り着くからね。

僕が救助隊として飛び始めたのは14年前の秋のこと。
初めのころは、僕も救助隊の仲間もみんな緊張していたよ。本当に人のために役立つのだろうかって。出動中に自分自身が落っこちゃったら話になんないしね。

けれども無事に任務が果たせて、年末までに226回も出動することができたんだ。
翌年には1329回飛んで、毎年少しづつ増えていって、昨年は2098回も救助へと向ったんだよ。
僕の管轄はベルリン市内とその周辺50キロくらいまでで、事故や急病で112番に電話が入ると、その状況を判断して救急車のセンターから出動依頼が入るんだ。
出動が決まると僕の周りに立ててある看板のランプが回り始めるから僕にもすぐに分かる。
そして数分もしないうちに救助隊のみんなが建物から急ぎ足で出てくるんだ。さあ出動って、緊張する瞬間だよ。

今日はね、朝、さっそく緊急出動の依頼があって、 パイロットのリントナーさんと救助隊員のミュラーさんと、それから緊急医のアーンツ先生と一緒にひと仕事終えて、さっき帰ってきたところさ。
僕は車道や公園など、一般のヘリコプターが近づくことがないようなところに出動するのがほとんどだから、僕を操縦するパイロットはかなりの熟練者でなければならないんだ。
僕の専属パイロットは今3人いるんだけれど、そのうち一番長く僕とチームを組んでいるのはマッケニーさんというんだ。
ヒューストンからやってきたおじさんでね、ベルリンにまだ壁があった頃のアメリカ軍の人なんだよ。あの頃の西ベルリンでは、町を統治していた3つの軍の人しかパイロットになれなかったからね。ドイツ人パイロットはいなかったんだ。
マッケニーさんは東西ドイツが再統一して、アメリカ軍が撤退していったあとも、そのままベルリンに残ってくれたんだ。一緒にいようねって言われたときは嬉しかったよ。

 

僕の任務は人助けをすることにあるんだけれど、けっこう大変なんだ。
僕が飛んでくるとね、僕のプロペラがすごいものだから、ベランダに置いていた鉢植えが風圧で飛ばされたとか、公園の樹の枝が折れたとかって、叱られちゃったりね。
僕にしてみれば僕が来たからひとつの命が助かったんだぞ!って思うのだけど、皆がみんな、そう思ってはくれないんだよ。

じっさい僕は、毎日何度もベルリンの空を重傷を負った人や重体に陥った人の所へと飛び回るけど、5回に1回は誤報だったり、通報した人の誇大表現だったりするんだ。
でもね、僕が出動する40%は本当に急を要するもので、僕がいなかったらこの人は助からなかったっていうことが、今までにも数え切れないほどあったんだよ。

そうそう、去年だったかな、その日もマッケニーさんと飛んだんだけど、ツェーレンドルフ区のシュラハテンゼー湖でね、14才の女の子が溺れたんだ。
あの時は緊張したよ。小さな湖だから、右も左も樹々の枝が覆いかぶさるように茂っていて、なかなか女の子のそばに行けなかったんだ。
そこでマッケニーさんは昔取った杵柄だよね、樹の枝ぶりの下にもぐりこんで、水面スレスレの低空飛行をしたんだ。
それで女の子の溺れているところまで近づくことができて、救助隊員が水に飛び込んで、そのあと緊急医も飛び込んで、水の中で救助して手当てに当たったんだ。
もう溺れてから何分も経っていたし、救急車では湖の真ん中には行けないものね。 僕でなかったらあの子は助からなかっただろうって、家族の人たちにも何度もお礼を言われたよ。
ぼくたちはみんなびしょ濡れになって帰ったんだけど、湖の水だか涙だか分からないくらいに嬉しかった。

ああ、そういえば、僕自身が入院したってことがあったなあ。
救助に向って任務が終って、さて帰ろうってプロペラを回し始めたら、車が飛び出してきたんだ。僕のプロペラに当たって大事故さ。
車を運転していた人は、飛び立つまでまだ当分掛かるだろうって思って、アクセルを踏んじゃったんだって。
誰も怪我をせずに済んだんだけど、僕だけは大怪我。だってプロペラ回している軸って、僕の大切な神経器官につながっているんだもの。絶体絶命。
僕はベルリン市内で唯一の航空救助隊なわけでしょ、誰も僕を助けに飛んできてくれないんだよ。救急車が来るまでの時間がどれだけ長く感じられたことか!
ま、ちゃんと治療してもらって、こうしてまた元気になったんだけどね。あのときの入院、けっこう長かったんだよ。

そうそう、僕が今日どうしてニコニコしているかっていうとね、明日が一般公開日だからなんだ。
ターク・デア・オッフェネン・テゥアといって、この日は、病院の仕事を一般の人々に披露することになっていて、ベルリン中の子どもたちが僕を見に来てくれるんだ。

普段は、僕はみんなの住んでいるところへ飛んでいくけれど、僕は体も大きいしプロペラ回してやってくるわけだから、警察隊が出動して周りを整備していて、僕が到着する頃には、誰もそばには近づけないようにしてあるんだ。子どもたちが「クリストフ31だ!」って言ってくれても、僕はみんなを遠くに見ているだけで、近寄れないからね。

けれども明日はオープンデーだから、プロペラで誰かを怪我させちゃったりしないかなあ……とか、そんな心配しないで、みんなとゆっくりおしゃべりできる。
みんながぼくを撫でたりしてくすぐったいけど、僕は公開日が大好きなんだ。

あ、ライトがまた回り始めた。
出動だ。
ミュラーさんとリントナーさんと、モーチェニェック先生が駆けてきた。
じゃあ、ちょっと行ってくるね。