今はもう空港としては使われていないテンペルホーフ空港。
現在は、建物はイベント会場に、滑走路部分はスケートや凧揚げができる広大な公園として使われている。
テンペルホーフ空港は、1923年にかつてのプロイセン軍練兵場を転用して開港。
1941年に現在の建物に改築された。ナチスの時代。典型的なナチ建築として知られている。
第二次世界大戦中は軍用基地として使用され、冷戦時代(東西ドイツ分裂の時代。ベルリンの壁が存在した時代)にはアメリカ軍の占有となり、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが再統一した後は民営化され、テーゲル空港の補助的存在として一般旅客機の空港(別棟には個人チャーター機カウンターも)として利用されていた。
閉鎖されたのは2008年10月30日。
クローズの1週間前、思い出の詰まったこの場所を訪ねてみた。
テンペルホーフ空港メインホールの外観。
さり気に停まっている赤い車。カワイイ~。
建物に入ってすぐの空間。
左手にあるインビス(軽食スタンド)。
懐かしい~❤
ホールに入ったところからの景色。
懐かしい~❤❤ …と書くと、どこもかしこも「懐かしい」ので、以下省略。
目の前のミニエスカレーターか、その両側の階段で下のフロアへと降りていく。
先に広がる空間。ゲートはここだけ。
このホールひとつだけですべてがまかなわれていた。
小さいが機能的で高い評価を受けていた。
しかしながらこの空港、典型的なナチ建築。
縦長窓がその特徴。
オリンピックスタジアム:
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/63/Berlin_Olympiastadion_aussen.jpg
ベルリン見本市会場:
https://de.wikipedia.org/wiki/Messegel%C3%A4nde_(Berlin)#/media/File:Berlin_-_Messe_Berlin2.jpg
在ドイツ日本大使館:
http://photos.wikimapia.org/p/00/00/76/04/15_1280.jpg
在ドイツイタリア大使館:
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/84/Be_ItalianEmbassy_01.JPG
などなど…。
なるほど共通するものがある。
さて、話を空港に戻して…
降りたところから見上げた景色。
預けた荷物が出てくるベルト台。
…そう。外来者も出入りするフロアに置かれているのだ。
スーツケースを盗まれるなんてことを考えたことがなかった古き良き時代の産物。
この日も旅客機の離発着はおこなわれていた。
搭乗客たち。
しかしカメラを手にした人もやたら多い。
1週間後にはクローズというので、写真を撮りに来た人の数はかなりものだった。
壁の時代には米軍専用空港だったが、再統一以降は民営化されていた。
娘たちもこの空港からよく、キッズサービスを使って、おじいちゃんおばあちゃんのところに遊びに行ったものだった。
二階からの眺め。
メインの空港はテーゲルのあるが、ヨーロッパ間の便はここの離発着も結構あった。
これまで家族や親せきや友人たち、何度迎えに行ったり見送りに行ったりしたことか。
この日はテラスに出ることもできた。
遠くにテレビ塔が見える。
そんなわけであれこれ見物して外に出ると夕方の空だった。
追伸その1:
テンペルホーフ空港は冷戦時代(ベルリンの壁のあった時代)、米軍の統治地区にあり、米軍専用空港だった。
ベルリンがまったく閉鎖された時代に、物資供給の舞台となった場所でもある。
(そのあたりの詳しいことは「ベルリンの壁/空気の橋とロジーネンボンバー」の項の冒頭に)
空港前には物資供給の歴史を刻んだ碑がある。
この記念碑は3本の軸が空に向かって湾曲に伸び、途中でプツリと切れた格好だが、これは空気の橋であるから、目に見えない空気のラインは、当時ロジーネンボンバーにベルリン市民のための物資を詰め込んだ場所(空港)へ向けて伸びている。
(足元には碑が刻まれている)
上記の写真を撮りに行った日、ベルリンはとても晴れていて、「空気の橋」の向こう側に空気雲を引きながら2機の飛行機が飛んでいた。
追伸その2:
昔はテンペルホーフ空港内にロジーネンボンバー機が展示されていたが、現在は看板のみ。
現物はツェーレンドルフ区の連合博物館(AlliiertenMuseum, Clayallee 135, 14195 Berlin)に置かれている。
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