免許と国境と日食と

(この記事は2015年3月21日にべるりんねっと789のコラムに掲載された内容を加筆修正したものです)

早起きして免許証センターへ向かう。
国際免許が必要になったもので。
国際免許を取るためには、すでに免許証を持っている必要がある。そりゃ当たり前。
それもプラスティックのカード式の免許証からでなければ発行されないらしい。
私が持っているのはカード式が導入される前のもの。

  

 紙でできていて3つに折りたたんで所持する。
紙といっても破れないスグレモノ。
日本の運転免許証を書き換えてもらったのではなく、ベルリンで取ったのだ。
教習所など無いドイツの運転免許証取得事情。
助手席に教官が座っているとはいえ、初日はシュテーグリッツ区のシュロス通り、二日目はクーダムを「私の運転」で走ったのだから大変ヨ(大汗)。車道を横切る人多数。心の中では「キャアア~!!!」と叫びまくっていた。

そんな大変な思いをして取った免許証だったが、まずはこれをカード式に替えてもらわなければならない。
昔は「役所」=「並ぶところ」だったが、いつしか予約を受け付けるようになり、最近はオンラインでそれができるようになり便利になった。
通常の手続きでは受け取りまで2~3週間かかるという。
これでは間に合わない。
私の場合はカード式に変更する手続きも必要だから倍の4~6週間ということか??
これではとうてい間に合わない。
しかし免許証センターに出向き、エクスプレスサービスを同時申込みすれば平日2日で受け取れるという。2倍にしても4日だ。
これならいける。助かった…。
と思ったが、いざオンライン予約をしようと公式サイトを覗くと、次の空席は4月18日だった。
これではすべてが後の祭り。絶体絶命。
受付時間の項を見ても「予約者および受け取り」と書かれているだけで、昔の「並ぶ」というシキタリは全面排除されてしまった様子。なんて世の中だ~(涙)
ベルリンはしっかりとした人生計画を持った人のためだけの町になってしまったのぉ~??
ひとしきり嘆き、どうしたものかと悩みに悩んで電話をしてみた。
事情を聞いた職員は、もしかしたら例外措置が受けられるかもしれないから、受付開始時間と同時に窓口で陳情してみるとよいと教えてくれた。対応してもらえると保証はできないが余地はあるとのことだった。
それで朝も早よから都心をめざし、受付開始の7時半に窓口に立った。
予約の紙を持った人の列に並んでいると、何人か前に私と同じ境遇らしい人がいて、事情を話したり手紙を見せたりしていたが緊急である理由がないとかなんとか断られている様子だった。あわわわわ…。
ようやく順番が来て事情を話すと、その旅行はいつ決まったのだと聞かれる。
フライトチケットを見せる準備はしていたが、そう聞かれるとは思いもしなかった。
「いつだったか…。それはちょっと前のことですが、まさか車を運転しなければならないことになるとは…」
続く言葉を失っている私の顔をしばらく見つめていた職員は、ふとパソコンに向き直り、カチャカチャ音を立てて画面を覗き、「待ち時間は長いですよ」と言いながら、傍らの小さな機械から出てきたレシートを2枚を切り取って私に差し出した。
「これが予約番号で…」
予約は10時15分だから、10時ごろには待合室に戻ってくるようにと、レシートに印字された文字を指しながら説明してくれた。
電話の職員さんの助言が功を成し、アポがもらえたのだった。人生長く生きていると、善いこともあるものね。ウルウル…。
昔は番号札を握りしめ待合室に張り付いていなければならなかったが、最近はおおよその時間も教えてもらえる。それまでは出かけていても大丈夫だ。なんと便利な世の中になったものか。
腕時計は8時前を指している。2時間。さてどうしようか。
帰宅するには遠すぎるし、事務所に行こうにも、ここまでの道はスムーズに来られたものの駐車スペースを見つけるのが大変だったから、同じ苦労は避けたい。車で出かけて再び戻って来たときうまく駐車スペースが見つからず時間に遅れて手続きしてもらえなかったら、それこそ絶体絶命。目も当てられない。
そこでカフェに一盞の珈琲を、朝の珈琲を果つりに行くことに。
外へ出て迷わず決めたのはカフェアインシュタイン。
免許証センターはクロイツベルク、コッホ通りを入ったところ、チェックポイントチャーリーも遠くない。かつて検問所のあった場所のはす向かいに、当時唯一のカフェだったカフェ・アドラー、壁の時代もその後も、何度座ったことだろう、
名前が変わり、店内の様子が変わった今も、座るならやっぱりあそこがよい。
ということで散歩がてらに出かけてみた。
途中にいくつものカフェを通り過ぎりた。スタバもあったが、今日はカフェアインシュタイン。


朝早いので奥の部屋にはまだ誰も姿もない。
ああ懐かしいこの空間。


改装され、きれいになっているが、天井は当時のままだ。


壁には写真で見る壁の歴史が掛かっている。

 


店内に入ってすぐの天井。
パネルがはめ込まれているが枠はそのまま。懐かしい~
と思ったりもしながらコーヒーを頂き、お天気も良いので散策に。

 


カフェアインシュタインの外観。北側からの景色。


それはちょうどフリードリッヒ通りとツィンマー通りとの角。


少し左の景色もいれるとこんな感じ。
チェックポイント・チャーリー(米軍が作った国境検問所)。
この「チャーリー検問所」、チャーリー大佐が作った検問所とか、そういうこっちゃない。
これはフォネティックコードという国際アルファベット認識表を用いて表現したもので、「A=Alpha」,「B= Bravo」,「C= Charlie」…要するに米軍が数えた「3つ目の検問所」という意味だ。
ちなみチェックポイント・アルファは、西ドイツ側との国境 Helmstedt-Marienborn 検問所のこと。
チェックポイント・ブラヴォは、西ベルリンの南西部の国境Dreilinden-Drewitz検問所のこと。

さて、 通りの真ん中に立っている兵士のパネルは壁崩壊の数年後に設置された。
今は東ベルリンから西ベルリンに向かって立っているので、見えているパネルに写っているのは西ドイツ兵士の写真。
私が立っている辺りに東ドイツの検問所があり、ベルリンの壁は鍵の字に曲がりながら、西ベルリン側の建物に迫るように伸びていた。


ジグザグにラインが走り、車道を東西に分けるベルリンの壁。
2重の石のラインがその跡。

 


石の壁跡ラインには、所どころ「ベルリンの壁1961-1989」と書いた板がはめ込まれている。

 


カフェアインシュタインのすぐ近く、旧西ベルリン側の歩道に沿って停められていたトラビ(旧東独の国産車)。
トラビの真下にも石の壁跡ライン。当時ではありえない停め方なわけだ。


歩道に沿って引かれている石の壁跡ライン。
壁の時代、この辺は、建物の前に歩道、そしてすぐその横に4mちかい高さの壁がずっと並んでいた。通りに陽が射しこむことはなく、一日中薄暗い通路で、通るのに勇気が必要だった。
小心者の私は何となく怖くて、こういった路地を歩いたことがなかった。
今思えばもったいないことをしてしまった。

 


フリードリッヒ通りまで戻ったころには9時を回っていて、この日の観光客第一群が早速記念撮影に興じていた。
これはカフェアインシュタインのフリードリッヒ通り側。はす向かいに壁の博物館。中央分離帯にチェックポイントチャーリー。


この建物はチェックポイントチャーリー検問所の初代のレプリカ。
オリジナルは破損し、木切れしか残ってない。
その木切れはツェーレンドルフ区クレーアレーにある、かつての米軍施設を使った連合軍博物館に展示されている。
ベルリンの壁崩壊時に使用されていた検問所の建物は現存しており、それも現物は博物館に展示されている。


検問所の横は壁の博物館。
ようするに、当時、ベルリンの壁は西側諸国にとっては在ってはならない壁であり、西側での出入国は形ばかりの簡素なものだった。
亡命や密輸を阻止するための厳しい検問がなされたのは東側の検問所のみ。


チェックポイントチャーリーから東ベルリンのほうを見ると、国境に近いところに立つ、ここがアメリカセクターであることを書いた看板。
十字路の向こう側は隣国、東ドイツの東ベルリン。


すこし西側のほうへ入ってから振り向くと、さきほどの兵士のパネルの裏側。
そこにはその先の国に居た、東ドイツ兵の顔。
そして、かつての東独国境検問所であった土地、すこし空き地になったところに、なにやら工事中。
見ると…

 


なんと中華料理のインビス。
ナント不釣り合いな。正直目障り。誰だここでの営業許可を出した役人は…。
と、ぶつぶつ思いながら免許証に関する手続きを一手に引き受けるお役所へと戻った。

 


予約制が導入されてから、待つ人の数は断然減り、掲示板の前のテーブルは無人。


掲示板を見ると時刻は10時8分。


今日必要なものたち。そのほかに手数料も。
二枚の予約券の番号を確認する。
しばらく待って、私の番号が掲示され、料金を支払って(なんだかんだで50ユーロ弱。涙)、来週の火曜以降に仕上がっているので開館時間に取りに来るよう言われて、今日の課題はクリアする。


帰りに私の好きなエリアの近くを通ったので寄ってみる。
旧建築が建ち並ぶ美しい景観。


何度行っても吸い込まれるような気持ちになる。

 


そして今日は日食(2015年3月20日のこと)。
街角で日食メガネを手に空を見上げる人の姿が多かった。
カフェでお茶をしながら日食観察する人の姿も。
中には、溶接の時に使う鉄の仮面を持ち出して、それを顔の前に掲げて天を仰ぐ人がいて笑ってしまった。
先を急いでいたし、日食メガネを持っていない私は裸眼で見ることもできず、それらの光景を走らせる車の車窓から垣間見ただけだが、信号で停まった場所がアパート群が途切れた広い空間だったので、カメラで撮ってみたが、いつもの太陽…。
いっぽう、娘は帰宅し、興奮気味に語っていた。日食は実に素晴らしかったと。
学校に日食メガネを持ってきた生徒も多く、覗かせてもらったらしい。
ついでに日食カメラ越しに写真も撮ってみたと。
その一枚がこれ。


ちゃんと欠けている。

ラジオのニュースは一日中、日食の話題でもちきりだった。
今回は完璧な日食にはならなかったものの、ソーラーでの電力回収に多大な影響があったとか。町が停電するかもしれないという懸念から何とか免れ助かったといった調子の報じられ方。
本当かな…今日雨だったロンドンより、よっぽど明るい一日だったのに…。
ということで我が家の屋根に貼ったソーラーパネルの電力回収状況を調べてもらったら、同じように快晴だった一昨日や昨日は23キロワットだったのに対して、今日は20キロワットの収穫だった。 確かに数字は減りはしたが10%未の減少。停電の恐れはちと大ゲサすぎる…。
…と太陽の話で一日が過ぎた。
夜は冷え込んできたのだろうか。
まだ日も暮れていないというのに、我が家の駄ネコが細い暖房機の上に張り付くようにうずくまていた。

暖房機を触るとほんわりと温かい。
連日の晴天に春が来たと陽気な気持ちになっていたが、実際の気温はさほども上がらず、自動設定の暖房機は変わらず作動していたようだ。

窓際に積み上げた未読本…。
読みます。待ってて~。