ココロとカラダ

ある日つくづく考えた。

 

手で、書いているけれど、手が、書いているのではないのよね。
手を使って書くけれど、書かせているのは目なのね。
それでも目も道具のひとつで、その先をずっと辿ると、心が書かせているのよね。

 

口で、話しているけれど、口が、話しているのではないのよね。
口を使って話すけれど、話させているのは耳なのね。
それでも耳も道具のひとつで、その先をずっと辿ると、心が話させているのよね。

 

耳で、聞いているけれど、耳が、聞いているわけではないのよね。
耳を使って聞くけれど、聞かせているのは脳なのね。
それでも脳も道具のひとつで、その先をずっと辿ると、心が聞かせているのよね。

 

身体のいろいろな部位が、それぞれの役割を果たしていて、どれもそれぞれに大切で。
けれどもそれらは目的を果たすために大切なだけで、けっきょくのところ、一番大切なのは心だということね。

 

けれども体の中に、「心」という部位はない。
心を表現するときに心臓を指すけれど、心臓と心はちょっと違う。
けれども極端に悲しい時や、極端に嬉しい時、心がキュンとなって心臓辺りが痛むから、心がこの辺りのどこかにあるというのは間違いないのかも。

 

そんなことを、ある日ふと思いつき、頭でつくづく考えて、心がしみじみ、そうだと思ったのだった。