終戦70年の今年、リトアニアでユダヤ人に大量のビザを発給して6千人以上ものユダヤ人を救った杉原千畝氏を描いたハリウッド映画が公開される。
『杉原千畝 スギハラチウネ』というタイトルになるそうだ。
この映画に絡んでお詫びしたいことがひとつある。
私がこの映画の公開を知ったのはベルリン国際映画祭のとき。それ以前に既に制作発表はなされていたと後で知ったが、読み落としていたようだ。
SABU監督の新作『天の茶助』がコンペ部門に選ばれ、来伯(→ベルリン/伯林を訪問すること)なさっていた主演の松山ケンイチさんらと偶然タクシーを乗り合わせることがあった。
ちょうど日本大使館前を通りかかったので、「杉原千畝のという外交官がリトアニアの領事館に…」と話し始めたのがきっかけで、松山さんから、ハリウッド映画になることや奥さまが妻の役を演じられることを伺った。
それで喜び勇んだ私は、車窓を走る大使館を指しながら、「リトアニアから退去した先はベルリンで、到着した杉原さんがやって来たのはここだったわけです」とウンチクを垂れたのだった。
しかし…。
今回のサンデー毎日誌連載の執筆にあたり確認すると、大使館の建設は1938年に始まり、完成したのは1942年だった。
杉原氏がリトアニアから退去してきたのは1940年9月5日。
1942年に完成したのは公邸部分で、領事部は40年には完成しており、部分的には使い始めていたとも聞いたが、1940年の公式住所は従来の場所アーホルン通り1番地(ノレンドルフプラッツ駅の近く)のままだった。
よって業務の大半はまだアーホルン通りで行われており、杉原氏が来栖大使に挨拶に行ったのはアーホルン通りの領事部か、大使公邸があったティアガルテン通り3番地(現在のフィルのある場所。障害者殺処分T4アクションの行われた本部の隣!)のどちらかで、現在の大使館ではなかった可能性が高い。
松山ケンイチさん、間違った情報をエラそばって伝えてしまいました。
ここに訂正しお詫び申し上げます。
…また、これまでに同様に私からこの話を聞いたことのある皆さま、申し訳ありませんでした。