【鳥丸八十七商店】
「唐人町(とうじんまち)」から、「古町(ふるまち)」へ。
史さんがまず案内くださったのは、「鳥丸八十七(とりまる・やそひち)商店」。
なんと、こんにゃくの専門店。
こんにゃくのみに特化したお店は初体験。
それも販売しているだけでなく、すべてここでの手作り!
商品の向こうに、こんにゃく製造の工房が見える。
鳥丸八十七商店は大正6年創業という大の老舗。大正6年は西暦で1917年。
現在は4代目、鳥丸克彦さんがその伝統を引き継いでいる。
史さんの親戚に当たるお家柄だそうだ。
店名の「八十七(やそひち)」は初代の名前。
明治28年に4人兄弟が鹿児島からこの地に移り住んだのが、こんにゃく造りの始まりで、当初は「鳥丸兄弟商会」と名付けられていたそうだ。
鳥丸八十七のこんにゃくは、国内産の蒟蒻芋を、16世紀に常陸の国の中島藤右衛門が発明した古来の方法で製粉し、阿蘇のカルデラ地層でろ過された熊本の水を用いて造ることから、味わいのある逸品になるのだとか。
いろいろお話をお聞かせくださった4代目克彦さんとお母さま。
こんにゃく造りは水をふんだんに使う重労働で、冬は水が冷たく厳しい仕事と聞いたが、なんと優しい笑顔だろう!
重さがあるし水が入っているのでベルリンには持ち帰ることができないが、こうしてお話を伺ったり、こんにゃくを眺めていると、味わってみたい衝動に駆られる。
大阪で私の帰りを待つ叔母は老いて歯も弱くなってしまったが、私一人でも食べておきたい…。
それで、どれがおススメか訊いてみる。
すると、すかさず「ゆずっこ!」と史さん。
ゆずの入った刺身こんにゃくが、香りも良くてあっさりしていて、とにかく美味しいそうだ。
それから、ところてんが、わたくし的には大変気になっていた。私はところてんを食べる機会がないまま育ったが、一度、四国に遊びに行ったときに、おやつに出されたことがあった。祖母も好物と言っていた記憶があるから、叔母も好きなのではないだろうか、実家に戻って一緒に食べたら楽しいかも。
そんなことを思い、こんにゃくと、ところてんを実家へのお土産に買って帰ることにした。
ところてんは、極細がのどごし爽やかで特におススメとのこと。
それで、普通の太さと極細と両方を頂くことに。
大阪に帰るや、翌日のお昼にはさっそく、ところてんを頂いた。
これは極細タイプ。なるほど、そうめんを頂くかのように、するすると心地良い。
翌日は通常の太さのものも頂いて、どちらもとにかく美味で、夏バテだった叔母も元気を取り戻した。
鳥丸のところてんを食べ終わった後、我が家ににわかに「ところてんブーム」が到来し、帰国まで毎日スーパーに買いに走ったのだった。
こんにゃくは、頂く予定だった夜にアポが入り外出し、翌朝ドイツに帰国したので、食べずじまいで終わってしまったが、ヘルパーさんに託したところ、絶品だったと報告があった。
【上村元三商店】
さて、鳥丸八十七商店を後にすると、次の角を左に曲がる。すぐ左手に見えてきたお店、「ゲンゾーさんのお店」と中島さん。
店先に、いろいろ荷物が積んである。
シャベルも立てかけてあるから日曜大工のお店かな?? と思いながら、「ゲンゾーさんって?」と聞き返すと、「こんな人」と、中島さん。
指された先を見て、えっ…。(絶句)
これは映画『トイストーリー』のミスターポテトヘッドではないかっ。
ミスターポテトヘッドに似た人って… (@_@;)
「新町古町復興プロジェクトの主催者で、人情が厚くてみんなが頼りにしている有名人」
へえ~。
…と話しているあいだに、史さんが店を覗き、ゲンゾーさんがいらしたので、中に入ることに。
店内にはかわいらしいキャンドルがたくさん飾られている。
ゲンゾーさんの本業は、キャンドル職人なのだそうだ。
けれども店内にはテーブルと椅子が並び、夜は飲み屋さんにもなるという。
それを聞いてすかさず座らせてもらった。朝の8時からずっと歩きぱなしだ。
飲み物も注文できるとのことで、史さんと中島さんにお礼の意味でご馳走させてください~とお願いし、一緒に休憩することに。
冷えたジンジャエールが美味しいのなんの!
歩いた分だけ胃に沁みる… (#^.^#)。
するとゲンゾーさんが、焼きソーセージをご馳走くださった。
九州のハム職人のこだわり手作りソーセージだそうだ。頬張ると、なるほど、旨みがギュッと詰まった逸品。
休憩しながら、中島さんが、ゲンゾーさんは炊き出しをしたり、震災後に大活躍し、みんなが感謝したと回想すると、「ただの偶然だから」と、ゲンゾーさん恥ずかしそうに笑った。
熊本地震は大きい地震が2度あった。
一度目は、2016年4月14日 21:26。
熊本の人々が今までに経験したことがないような大きな揺れだった。
揺れが収まると外へ飛び出し、近隣の人々の安否を確認した。10数階建てのマンションから降りることができなくなったおばあさんを助けるなどし、学校のグランドに行ってみると、1000人ほどの人で溢れ返っていた。
ゲンゾーさんはこの日、イベントの仕事の関係で60人分のバーベキュー道具を車に積んでいた。
それを利用し、肉を細かく切って豚汁を作って避難者にふるまった。
翌15日も恐れながら過ごしたが、大きな地震は来ることもなく、これでまた、これまでの日常が取り戻せると、みんなが思っていた。
ゲンゾーさんはこの日の夜、みんなと晩餐を楽しみ、仕事も来週に再開しようと考えていた。
ところが日付が16日に変わってほどない、深夜の1:25、ふたたび地震が起きた。前回の地震よりもさらに激しい揺れだった。外に出ると甚大な被害が発生していた。前回の地震でダメージを受けているところに重なったため、倒壊の危険性のある家屋も多く出た。
避難者の数は1500人に膨れ上がっていた。
このとき、焼きそばの玉を寄付してくれる人があったので、早速炊き出しを始めた。
けれども寄付してもらった焼きそばは500玉。一人当たりの量を半分にしても1000人分で、500人分は足りないことになる。みんなに行きわたらないのが申し訳ない気がした。
このあと、親戚の者もボランティアに加わり、学校に避難している人々のための炊き出しを長期にわたって続けたという。
被害状況を訊ねると、この界隈では、全壊した家屋は3軒あったが、命はみんな助かったそうだ。
炊き出しボランティアがひと段落つくと、ゲンゾーさんは、「新町古町復興プロジェクト」を立ち上げた。
集まった募金でシルバーシートを調達し、必要な家庭に配っている。
屋根の修復が必要な家屋の、屋根の覆いに使ってもらうために。ブルーシートは薄くてすぐに裂けてしまい長期間使うことができないが、シルバーシートは厚みがあり頑丈で、1年以上は耐久するそうだ。
また、仲間たちと補助金の勉強会を行っている。あちらこちらで見かける震災状況を記した張り紙は、赤、黄、緑の3色に分けられている。
赤は倒壊や落下の危険性が高い家屋、黄色は注意が必要な家屋、そして緑は震災を免れた家屋ということだ。
赤や黄の紙が貼られている世帯は、修復工事が必要だが、自己資金としてそれを捻出するのはつらいという家庭も多い。
そこでどのようにすれば補助金が受けられるかをみんなで勉強しているのだそうだ。
お話を伺った後、外で写真を撮らせてもらった。
ほんとう、ミスターポテトヘッドと似てる…。
ミスターポテトヘッドも、自分の部位を犠牲にしてでも仲間と協力しあって問題を解決する。キャラも似ている。
ゲンゾーさんは、まさしく熊本の縁の下の力持ち。
ゲンゾーのフルネームはなんだろう…とインターネットで確認すると、「上村元三」さんだった。
あ、撮った写真にも看板が。
上村元三商店。
ここを拠点にこれからも復興に向けての支援の輪が広がることだろう。
上村元三商店
〒860-0031
熊本市中央区魚屋町3-13
電話:(096) 352-5187
http://portal.ntn81.jp/lib2/vc.do?id=22431
お礼を述べてゲンゾーさんとお別れすると、また先へと進む。
すぐ左手に見えてくるお寺。青龍寺。
立派な門構えだが、正面までたどり着くと工事が始まっており、屋根瓦がずれているのが窺える。
また右手に洋館が見えてきた。こちらもブルーシートで覆われている。
大正時代に建てられたもので、現在は個人邸だが、かつては病院だったという。
【武蔵屋】
くるりと回って、ふたたび武蔵屋の前に戻ってきた。
匠も戻って来ていて、仕事に専念なさっていた。
武蔵屋の匠は「すげ師」。
私にとって初めて耳にする職業だったが、下駄や草履の鼻緒をすえる仕事で、匠はこの仕事に特化し、もう60年にもなられるそうだ。
手際よく鼻緒をすえていく手仕事を見せて頂いた後、店内の履物を眺める。
女物、男物、子ども用、冬向き、夏向きとさまざま。
あ、ここにも、くまモンが。ほんとうに、どこのお店でも必ずと言っていいほどくまモンがいる。
くまモンは熊本の守り神さんのよう。
上の棚には鼻緒ばかりが並んでいる。どれも手の込んだ芸術作品。
なんだか懐かしい感じのする草履。日本昔ばなしから飛び出して来たみたいなかわいらしさ。
どれも竹の皮を編んだもので、武蔵屋さんでしか手に入らないそうだ。
これは特別な下駄。山形の葡萄のつるを編んだもの。
史さんも武蔵屋さんの草履を愛用している。和のテイストの服によく合っているし、史さんは草履さえもセンス良く履きこなしている。
素敵だけれども、私には真似できない。今着ている服もベルリンで着ているものも、どれもヒラヒラ系だから…。
そこで隅に並んでいた、足袋の形をした靴下を愚息へのお土産にすることに。
武蔵屋
〒860-0035
熊本市中央区呉服町1丁目1
電話:( 096)352-6497
【PSオランジェリ】
武蔵屋さんにお礼を述べて外に出ると、今度は中島さんが勤めるPSオランジュリに。
石造りの重厚な建物。すごい…
感嘆して眺めながら、「あ、」と思い当たる。
唐人町通りのパンフレットに写っている建物はPSの端っこ。
そこで当時の風景を重ねてみる。
かつてPSオランジュリの先にはこのような町並みが続いていた。
唐人町の賑わいが聞こえてくるかのよう…。
社内も見学させてもらった。
石段を数段上って、中に入って息をのむ。
中央部は何メートルもの吹き抜けになった、大きな空間が広がっていた。
PSオランジュリはPS社のモデルルームで、PS社は大型暖房冷房装置メーカー。
ドイツの温水を循環させるセントラルヒーティングと同じ仕組み。上の画像の斜のような仕切りや下りの階段を囲った壁がそれ。バスルーム用などはずっとコンパクトで、ベルリンの拙宅と似てる~という感じ。
実家などはガス暖房で消し忘れや転倒など事故が起きないか心配だが、この方式なら安全で安心。
またPS社はこの設備で、暖房だけでなく冷房も実現させたそうだ。これはドイツにもない。画期的!
「オランジュリ」はパリのオランジュリー美術館からの命名だろうか、ドイツでは「オランジェリー」と呼ぶ、植物の冬の保管庫のこと。ルネサンス時代、オレンジなど南国の木々を庭園に飾るのがブームで、冬になると南国の木々をオランジェリーに運び込んで寒さから守った。ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿や隣町のサンスーシー宮殿などでも立派なオランジェリーが存在する。春になると木々は庭に出されるので、この空間を利用して、近年はクラシックコンサートなどが盛んに行われている。
PSオランジュリのフロアに立つと、なるほど、夏のオランジェリーを見渡しているかのよう。
PSオランジュリは、大正期に建てられた、もともと銀行の建物だったのだそうだ。
なるほど重厚な造りなわけだ。
けれども、震災の被害は数か所に見られた。
一室では天井が剥がれ落ちていた。
見学させてもらう中で見かけた銀行時代の金庫。
PSオランジュリ誕生には「まちなみトラスト」の活動が大きく関わっているという。
あとで話を聞きに行くのが楽しみだ。
PSオランジュリ
〒860-0028
熊本市中央区中唐人町1
電話:(096) 356-2201
http://www.ps-group.co.jp/pscompany/office/Orangerie/
PSオランジュリを後にすると、史さんが、近くにステキな料理屋さんがあるので…と、昼食にお誘いくださった。時計を見るとお昼どき。昼食は「むつ五郎」でと思っていたが、それをするとトラストを訪ねることができなくなる。なによりここで慌ててお別れするは惜しい。もう少し史さんや中島さんと過ごしたい。
それでご厚意を喜んで受けることにし、また3人で歩き始めた。
坪井川を渡って、古い家屋が残っていたり、路面電車の線路があったり、情緒ある風景を楽しみながらも、時おり目に入る張り紙に心が痛む。
あるお子さんは、「緑の紙のおうちに住みたい」と言ってたそうだ。震災の影響を受けなかった家屋ということだ。子どもたちも悲しみや不安を抱える毎日がまだ続いている。
【むろや】
しばらく行くと、史さんが「ここ、オモチャ問屋さんの店内に井戸があるの!」と思い出したように。
お店の中に井戸?! 見たい~♪
史さんがお店の方と挨拶を交わし、井戸見学の許可をもらって奥へと進むと…。
問屋さんらしく箱に入ったままの商品が棚に並ぶその向こうに、井戸の囲いが見えてきた。
井戸の中を覗きこむと…。真っ暗で何も見えない~(>_<)
そこで、フラッシュ炊いて撮ってみた。
おお。たっぷりと蓄えられた水が見える~。
井戸の囲いの側面に、井戸情報が貼ってあった。
直径90cm、底までの深さ約6.25m、水までの深さ4.25m、水深は2m。
水温は19度。
江戸時代に掘られたものだとか。
レジでお店の人たちと、しばし立ち話。
ここは問屋だが一般の人への小売りもやってくれるようだ。それにふと横を見ると、オモチャ問屋なのにお線香が並んでいる。
あ、叔母からお線香買ってきてほしいと頼まれていたのだった!
と思い出し、これは善いものと勧められ白檀の香りのお線香を買い求め、料理屋さんへ。
むろや
〒860-0004
熊本市中央区新町4丁目2−40
電話: ( 096)354-6083
http://ennichidagashi.jp/
【花遊(はなあそび)】
着きました~。
お店の名前は「花遊」、「はなあそび」と読むそうだ。
戸口も、横の壁の部分もステキな風情。
ちょうど私たちがお店に入ろうとしたところ、数人連れの婦人が中から出てきた。
なんとみなさん、武蔵屋の草履を履いてる~♪
履き慣れたふうだったから、地元の人たちかしら??
津和野の人たちが一等丸を普通に愛用する如く、熊本の人は武蔵屋さんの草履を愛用する。…地元のスタンダードは善いものだ…。
さて「花遊」の店内へ。
飴色の和風レトロのとても素敵だったが、明かりを落として落ち着いた空間で、三脚無しでは残念ながら上手く写真に収めることができなかった。
カウンターが掘りごたつ式のお席で、そちらに掛け、スポットライトの明かりを頼りに、ご馳走は撮ることができた♪
まず出された膳はこのような。
器のふたを開けるとこのような♪
お料理の華やかな色合いもさることながら、ひと椀、ひと椀、こだわりの逸品ぞろい。
器も実に凝っている。
目と舌で、じっくりと美食を味わったのは久しぶり…。
ご馳走を頂いたあとは、あれこれ日常のことが話題に。もちろん震災のことも。
ここでも大きな地震が2度来たことが、重い言葉となって口に上った。
一度目の揺れの時は助かった家屋も多く、これが本震だと思っていたが、2日後にもう一度揺れが来て、2度目の揺れのほうが激しく、本震だと思っていた地震が余震だったと知ることになる。現在修復工事を強いられている家屋の多くは、2度目の揺れが原因のようだ。「あれが余震だったとは…」と予想だにせず体験することになった地震の恐ろしさを口々に話す、その言葉の意味は重い。
この界隈だけで、営業できなくなった料理店が2店あると、「花遊」のご夫妻は心を痛めた。
すっかり長居し、御暇する時間となった。
史さんがご馳走してくださった。
復興支援のためにご飯を食べに来ているのだし、史さんには迷惑ばかりを掛けているから、私がご馳走すべきだったのに、史さんは、「ここのランチ、意外にお安いのよ」と笑顔で囁いてお支払いを済ませてしまったので素直に甘えることに。
「花遊」のご主人が表まで、見送りに出て来てくださったので、記念に一枚。
素敵な笑顔!
前日の大雨で朝から厚い雲に覆われていたが、この頃には青空が。
花遊(はなあそび)
〒860-0004
熊本市中央区新町4丁目6−2
電話: (096) 328-8744
【長崎次郎書店】
中島さんは食事を終えて、一足先に会社に帰ったので、史さんと連れ立って「花遊」を後にしたが、史さんもそろそろお店に戻らなければならない。朝からずっとお付き合いくださっている。
中島さんが「まちなみトラスト」の責任者にアポを取ってくださったので、私はトラストを訪ねてから史さんのお店に寄ることに。
トラストの責任者がオフィスに入るのは3時以降とのことで、それまで小一時間の時間がある。
史さんの弟さんが見せてくださった長崎次郎書店がこの近くというので、書店経由でトラストに向かうことにした。
書店を見たいということもあるが、どちらかというと、2階の喫茶室がお目当て。朝からまだコーヒーを一杯も飲んでいない。
なんと史さんは、書店まで連れていってくださった。
書店までの道すがら、「やっぱり鴎外も来ているそうです」と史さん。
弟さんにドライブに連れて行っていただき、長崎次郎書店の前も通ったと報告したとき、あの書店には鴎外も来店したと聞いた記憶があると史さんが教えてくれた。
それが本当の話かどうか、あちこち歩く合い間に書店に電話して確認くださったのだった。
史さんの細やかな配慮が心に沁みる。
そして書店に辿り着いた。
目の前まで来てみると、建物が接近しすぎて写真がうまく撮れない(笑)
下の画像は、先ほど車窓から見た書店の写真をトリミングしたもの。
書店の店頭に熊本地震の特集を組んだ雑誌が積んであり、それに気づいた史さんが、これを購入すると復興支援として寄付されると教えてくださった。
書店の前で史さんと一旦お別れし、雑誌を一冊買い求めて、2階へと上がった。
2階には、PSオランジェリのショールームに負けないくらい広々とした、ステキ空間が広がっていた。
暗転でキレイ…と思ってこれを撮ったが、明るく撮るのを忘れている… (-_-;)
テーブルに腰かけ、厨房のほうを見たところ。
さりげなく古書が飾られている。
静けさと明るさ。居心地の良い空間。
奥にも細長いスペースがつながっている。
外は気温も上がり、汗をかきながら歩いていたので、アイスコーヒーを注文。
嬉しい~♪ とすぐ飲み始めて、ハタと気づき、撮ったのがこの一枚。
左の雑誌が、特別報道写真集「『平成28年 熊本地震』 ‐発生から2週間の記録‐」(熊本日日新聞社)
売上の一部が、被災された方々への救援金に充てられる。
窓からの眺め。
ここで使われているコースターのデザインがとてもかわいい。それが5枚セットで販売されていたので、自分へのお土産に。それからレトロな写真のセットも。
モノクロの時代の長崎次郎書店…今となにも変わらない。
レジで店員さんと言葉を交わすうち、なんとこの方がオーナーご自身だったことがあとで分かる。
奥さまも交えて、鴎外が来店したことや、日露戦争に出征したときのこと、また、私の著作のことなど、しばし鴎外の話題に花が咲き、再会を約束してお店を出る。
壁に鴎外来訪の記が掛かっていた。
鴎外が長崎次郎書店を訪れたのは、明治32年(1899年)9月28日のこと。
そのときは第12師団軍医部長としてだったが、帰宅して調べると、鴎外は後年にももう一度熊本を訪ねている。明治43年1月、陸軍省医務局長の時代のこと。残念ながら2度目の熊本訪問を記した日記に書店の名は出て来なかった。
私の中の新発見:初めて「長崎次郎書店」と聞いた時、「長崎にあった『次郎書店』の熊本支店」だと思っていたら、長崎は人名で、長崎次郎氏が初代店主だったということ。
長崎次郎書店
〒860-0004
熊本県熊本市中央区新町4丁目1−19
電話 096-326-4410
http://www.nagasaki-jiro.jp/
【熊本まちなみトラスト】
マップで確認しながら明八橋までたどり着くと、あとはいつもの慣れた道を歩くかのように「まちなみトラスト」のオフィスへ。
右掲は今朝、唐人町通りに辿り着いて初めて見た家屋。
下掲は、たどり着いた時の店先の様子。
中に入ると「まちなトラスト」の事務局長、冨士川一裕さんが仕事をなさっていた。
挨拶もそこそこに、トラストの活動について聞かせてもらう。
「まちなみトラスト」が誕生したのは1997年のことだが、その前身として1986年に発足した「古町(ふるまち)研究会」という集まりがあった。
それは建築家や設計士、不動産鑑定士や学者らがメンバーとなり、かつて熊本の城下町として栄えた、唐人町を含むエリア「古町」について学ぶための集まりで、会員らが個々に歴史を調べて発表会を行ったり、シンポジウムを開催したり、また、視察旅行に出かけるなど、活発な活動を行っていた。
「古町研究会」が転機が迎えたのは1997年3月のこと。
現在、PSオランジェリである建物は元々、旧第一銀行熊本支店だったが、銀行が土地家屋をマンション業者に売却したとの情報が入ってきた。
老朽しているとはいえ、このままでは地域のランドマーク的存在であったこの家屋が取り壊されてしまう。急きょ研究会のメンバーが集結し、保存の可能性を模索し始めた。
即座に保存のための署名運動をおこない、4月までに集まった署名を手にマンション業者を訪ねると、当面は取り壊さず様子を見るという回答をもらうに至った。
これを機に、存続へ向けての運動が本格的に始動した。
その際、今後の活動はこれまでの同好会的集まりでは太刀打ちできなくなるだろうと検討を重ね、しっかりした定款を持つ非営利の市民団体、「まちなみトラスト」が設立された。
新生トラストは、講演会やパネル展を開催しながら市民に歴史的家屋保存の重要性を訴え、引き続き旧第一銀行建物存続のための署名を集めた。また並行して、新たな買い取り手を捜した。
しかし、大きな進展もないまま、最終期限の11月末が目前に迫った。ほうぼう手を尽くし、もう諦めるしかない…とメンバーの誰もが苦渋の思いを噛みしめていたところ、思ってもみない奇跡が起きる。
11月20日、トラストの会長が上京した際、PS社平山社長に面談した。平山社長は建築に造詣が深く、数日前に熊本を訪れた折りに今回の件を耳にし、興味を抱いた様子だった。トラストの会長はそこに一縷の望みを託したわけだが、果たして、平山社長は熊本訪問時に外観は見ただけで内部を精査していなかったにもかかわらず、買い取りを即決したのだった。
12月にはPS社とマンション業者の間で本格的な売買契約の手続きが始まり、トラストや町の人々にとって大きなクリスマスプレゼントとなった。
こうして、1919年に建てられた旧第一銀行は修復工事ののち、80年の時を経て、PSオランジュリとして生まれ変わった。
その後もトラストは、町並み保存や町の活性化のための活動を続けてきた。
そして今年4月、熊本は未曽有の地震に襲われ、人々の命や生活はもとより、城下町の歴史的建造物の多くも損害を負った。現在は個々の家屋の損害状況を調査しながら、復興へむけて尽力している。
まちなみトラストの活動が震災後に始まったものではなかったことが、私には新鮮な驚きであり、これまでの歩みに感動を覚えた。こうした町の人々の働きかけが、歴史を守り、今の熊本の町を創っている。
まちなみトラストの基本コンセプトは「記憶の継承」だそうだ。
私はそれを活字で行おうとしているのだ(私の執筆テーマは「ベルリンの歴史・生活誌」)。何の関わりもなく世界の東と西に遠く離れて存在している私たちだったはずが、意志の点ではつながっていた。これはなんだか嬉しい。
また、冨士川さんが話してくださったトラストの活動の中に、「ベロタクシー(人力車)による歴史的まちなみ探訪」のイベントがあった。
🚴🚖ベロタクシー🚴🚖はベルリン発祥。ベルリンではいまも健在で、ベルリンの夏の風物詩。私も時々利用している(昨年はベロタクシーで巡る鴎外ツアーも🎶)。
メイド・イン・ベルリンが熊本に行っていたことも、それがまちなみトラストの企画であったというのも、なんとも嬉しい。
熊本まちなみトラスト (i) 立ち寄りどころ
〒860-0027
熊本市中央区西唐人町10
http://kmt.sakura.ne.jp
実に濃いお話を聞かせていただき、深謝の念でトラストを後にする。
【冨重写真所】
史さんのお店「ソルト・ファーム塩工房」に戻り、こんなであんなでと、「一人旅」の収穫を報告し、このあとどうするかと訊ねられ、「熊本民謡 “あんたがたどこさ” ゆかりの橋」を見てから、タクシーを拾って市役所へ…とイメージを伝えた。
案内所に行ったことを嫌な思い出だけに留めないためにもアドバイスのひとつは実践したい。市役所の14階から見える熊本城を写真に収めて、今回の熊本ツアーの幕を閉じよう~と考えたのだった。
すると史さん、橋まで一緒に歩きましょうと。どこまでお優しいのぉぉぉ ~ (/ω\)💦💦
そんなわけで、ふたたび二人で歩き始める。
とりとめもなくいろんな話をしながら、PSオランジュリの角を左へ曲がると、坪井川。
これが明治10年に架けられた明十橋。…といいつつ橋自体を撮るのを忘れている💦
橋の上から、明八橋の方の眺め。
ほどなくして、「あ、ここが、世界最古の写真屋さん」と史さん。
世界最古?!
世界最古の写真については「福澤手帖」に寄稿したばかりだぞ。
世界最古の写真としては知られているのはフランスで撮影された「馬引く男」。なんと1825年のこと。けれどもこれはヘリオグラフィー技術での撮影で、8時間もの露光時間を要したため人物は撮れず、被写体は絵画だった。…で、世界で初めて人物を撮った写真といえば1838年に…
書いた文字が頭の中をぐるぐる回る。
そんなことなどお構いなしに史さんは、「半分開いているからいらっしゃるのでは…」と、腰をかがめて、「トミシゲさん、トミシゲさ~ん」
応答がないのでそのうちシャッターをくぐってしまった。
おおぉぉ…
「トミシゲさん、トミシゲさ~ん。いらっしゃいませんか~」
シャッターの向こうに史さんの呼びかけがくぐもっている。
ずいぶん根気よく呼びかけてくださっていたが反応はなく、お留守のようね…と諦めようとしたところで、かすかに物音がして、史さんは再び中に入っていった。
交渉の末、私も中に入れてもらうことに。
シャッターをくぐると、「この建造物は貴重な国民的財産です」と刻んだ文化庁の登録有形文化財であることを示す銘鈑が。
その下に「冨重」と赤い文字。
「トミシゲ」は「冨重」と書くのね~。
入場前の心得の如く壁に教えて頂いて、扉の向こうの世界へと入って行くと…。
わぁぁぁ…\(◎o◎)/
実に私好みの、歴史を感じさせるモノクロ写真が、所狭しと掛けられていた。これぞ天国!
要人が写るものも少なくない。
冨重写真館は明治の前の慶応時代に創業。当初は福岡県柳川市に撮影所を開設したが明治3年に熊本に移ってきたそうだ。
上野彦馬に師事し、日本を代表する写真家であったから、今に名を残す歴史的人物も多くこの写真館を訪れたそうだ。夏目漱石や小泉八雲などもやってきたそうだ。
今回の地震で建物に欠損が生じ、修理のために家財道具をこちらの部屋に出して積み上げているため、内部のすべてをお見せするのが憚られるので、この一枚だけにとどめておく。
なかほどに見えるは乃木希典!
いつ頃撮られたものだろう。ちなみに右掲は、ベルリン留学時代(1887年)のもの(絵葉書から)。
冨重写真館は建物だけでなく、写真技術も4代目(だったかしら??)に引き継がれ、現在の冨重氏が写真家としてこの写真館を経営してきたが、今は家屋の修復で仕事どころではなくなってしまったそうだ。
一日も早い再開を祈るばかり。
お別れのすこし前、冨重氏が思い出したように一枚の写真を見せてくださった。
冨重写真館の裏手を撮った一枚。
この時代は写真館の敷地も大きく、橋に通じる通りの方にも出入り口があった。
通りはまだ舗装されておらず、橋の欄干が木製だ。
私は土地に馴染みがないため、受けた説明の通りにしか理解できないが、この土地に生まれ育った史さんには一言一言が新鮮な再発見。大きく頷いて感嘆する。
再訪の機会に恵まれて、冨重氏に心の余裕が出てきたら、古い写真についてもっと聴かせて頂きたい…。
聴き残したことがたくさんありすぎる、短い短い滞在だった。
外に出ると、すぐの角を右に曲がり、写真に見た通りを歩く。
史さんが振り返って、「ほら」と。
「冨重写真館」と建物に書かれている。
これは先ほどの写真と似アングルかしら??
並べてみるとこんな感じ。
橋を渡り終えたタイミングで、史さんがタクシーを呼んでくださった。
このときもう私の足はヨレヨレで、そばにあったマンションの植え込みの縁に並んで腰掛け、おしゃべりしながらタクシーを待った。
ほどなくしてタクシーの姿が見えると、史さんがいつも利用している、信頼のおけるタクシー会社だからと一言添えて見送ってくださった。
この一言は女性にとっては心強い。京都のMKタクシー、大阪の日本タクシー、それぞれの町に評判のタクシー会社があるのだな。
ほうぼうで買い求めたお土産がかなりかさばってしまったので、史さんのお店に置かせてもらっている。
熊本駅に戻る道すがらにもう一度お店に寄るので、挨拶もそこそこに車を出してもらった。
(その6へつづく)
‐‐‐熊本に行ってみた。‐‐‐
その4 ∞ その5 ∞ その6
その1:熊本駅まで。
その2:唐人町での不思議な始まり
その3:「弟さん」とのドライブ
その4:唐人町散策
その5:古町散策
その6:熊本城から熊本駅まで。